錦糸町界隈の巻

2017年3月25日 ガード下学会

3月25日、ガード下学会は錦糸町にお住まいの伊藤さん案内のもと、錦糸町駅から旧中川にかけてを、まち歩きしました。12時に集合し、計12名が参加しました。錦糸町駅を南改札側に出た一行は、首都高速7号線の下にある水色のリベット橋を渡り、猿江恩賜公園内をあるきました。この公園の開園は古く1932年という歴史ある公園です。江戸時代から続く貯木場でしたが、昭和天皇のご成婚を機に東京都に下賜されたそうです。公園横には運河が流れており、一行は、そこから運河沿いに続く公園をめぐりました。それぞれの区画ごとに公園の名前は違いますが、運河として繋がっているため、歩行者は一つの長い公園を散歩しているかのような感覚になると思います。

この辺りは古くは海であり、戦後の埋め立て工事によって誕生したエリアです。そのため、運河はちょうど四角を一周するような形で流れており、公園もそれに沿って整備されています。江東区という住所から一見すると非常に人工的な埋立地を想像しましたが、公園には、水上アスレチックや釣り堀など、水に関連するさまざまな都市生活が創造されており、住みやすさを感じました。公園のいたるところには桜の木が植わっているため、私たちのまち歩き日は、花見の準備が各所で行われていました。

運河公園から小名木川に出ると、たくさんの方がレガッタやカヌーなどの水上スポーツを楽しんでいました。この川も運河であり、海とは人工的にしか繋がっていないため、流れが穏やかで、非常にスポーツに適した水辺が用意されていました。運河内の交通も手漕ぎ優先となっているのも新鮮でした。小名木川から旧中川に出ると中川船番所資料館と川の駅がありました。川の駅には無料で入れる足湯が設置されており、前半の疲れを癒そうと、何名かの参加者が浸かっていました。

少し休憩をした後、中川大橋を渡り、対岸の大島小松川公園の芝生の丘に登りました。ここには、かつての小松川閘門が保存されており、そのお城のような作りに一同驚いていました。また、小高い丘になっているため、錦糸町の向こう側にあるスカイツリーがよく見えました。このスカイツリーと閘門の対比的な構図が美しく、みなさんで写真に収めました。

その後、荒川ロックゲートに登り、その巨大な水量調整の技術を見学し、荒川土手沿いを北に大島小松川公園・自由の広場まで歩きました。この自由の広場の西側には大きな2つの橋がかかり、災害時の避難場所としての交通ルートが確保されています。これほど巨大な公園と橋を用意できるのは、財力のある東京都ならではであると、一同感心していました。この公園から、また旧中川に戻り、川沿いをさらに北進し、亀戸中央公園を通って、東武亀戸線:亀戸水神駅の前に抜けました。水神駅前の家屋にはいくつか古い木造家屋も残っており、この辺りからは埋立地でない江東区のエリアに入ったのだと感じました。蔵前橋通りを西へ進み、この日の一献場所である中華料理:星宿飯店に到着しました。

今回の遊歩は約15kmの距離であったということで、近年のなかで、もっとも長い距離でした。しかし、水の織りなす景色がバリエーションに富んでいたため、単調に感じることもなく、非常に充実したまち歩きとなりました。ありがとうございました。

 

天気 晴れ
参加者 12人
遊歩時間 12:00~17:15

 

 

 

築地・月島の巻

2016年12月11日 ガード下学会

今回のまち歩きは築地~月島をめぐる遊歩でした。行程を1部と2部に分け、それぞれが参加しやすい時間帯から合流しました。1部は12時に築地本願寺前に集合しました。本願寺は、1934年に伊東忠太によって建てられたもので、階段の装飾や床のモザイクなど、随所にアジアンテイストを感じました。ここから遊歩スタート。まず、はじめに向かったのは聖路加国際病院です。この病院は1902年にアメリカ人宣教師、トイスラーによって建てられました。庭にはトイスラーが昔住んでいたトイスラー記念館が残っており、まるで絵本に出てくる小さなお家のようなたたずまいです。病院本館はアントニン・レイモンドによる設計で、外国の建築を模したデザインになっています。キリスト教系列の病院なだけあって館内には礼拝堂もあります。このあたりは幕府によって居留地に指定されていたため、現在でも多くのキリスト教関連の建物が残っています。また、その影響もあってか、戦争中も空襲の被害を受けることがなかったため、昔ながらの木造建築も、街のいたる所に残っていました。また、居留地には外国文化や学問が数多く入ってきたため、それを学ぶ多くの学校が誕生しました。そのため学校創立の碑(主にキリスト教系のスクール)も道路沿いに散見されました。近年は、古い下町を写真に収めようとする人が多いのか、家のガラスに大きく「撮影禁止」を掲げているお宅もありました。

街を見学しながら、次に一行が向かったのは築地場外市場です。ここで、一度自由時間となり、各自で買い食いしました(波除神社集合)。築地で卸されたばかりの活きの良い鮮魚や海産物が、これまた活きのいい声で売られていました。こういう所で聞く「へい!らっしゃい!」には、どうして活きの良さを感じるのでしょうか。銀座のデパートの化粧品売り場で聞く「いらっしゃいませ」には、美しさを感じます。声が作る空間デザインは実に不思議ですね。そんなことを考えながら、市場内の海産物を買い食いしていました。途中で、大竹先生に出会い、本マグロのお刺身を頂きました。「これが本場の味なのか!」と感激。時間になったので波除神社に戻ってきました。この神社は、その名の通り、築地から漁に出る漁師の航海を祈る場所です。また、境内には築地で扱う食材それぞれを奉った石碑もあり、この市場が築地という周辺の都市文化を形作っていることを感じました。昨今話題の豊洲新市場問題、ニュースでは豊洲への移転や汚染の話ばかりが取り上げられますが、周辺の景観や都市文化も含んだ議論をもっと活発に行ってほしいと思いました。

市場を後にした一行は、かちどき橋を渡り、月島駅に向かいました。ここで2部から参加の方々と、月島の消える一角を案内してくださる木内さん(東工大の先生)と合流しました。この消える区画は「もんじゃストリート」に面しており、商店街の片側半分を消してしまうことになります。商店街の各お店にはアーケードがかかっているため見えにくいですが、上部壁面には初期の店の看板が残っています。この区画は大手コンサル3社が、以前から手をつけており、このたび高層マンションの建設計画に当たり、住民の立ち退き、建物の取り壊しが決定しました。通りから続く細い路地や生活感丸出しの洗濯物や植木など、また一つ下町らしさが消えてしまうのは悲しいです。区画内を練り歩いた後、今回の一献場所、もんじゃ焼き「麦」へ。今年最後のまち歩きということで、忘年会も兼ねた一献は大いに盛り上がりました。話したらずに2次会でサイゼリアにも行きました。

以前から、消えてしまう街や建物に危機感を持っていた私ですが、今回は消えるまでの経緯をみることができたと思います。普段何気なく存在する都市部の駐車場も、コンサルの区画買い取りの予備段階であることに大変驚きました。これ以降、コインパーキングを見る目が変わりました。また、以前大学のシンポジウムで聞いたホワイトカラーの下町進出による下町景観の消失という話を思い出しました。お金を使って街を壊すのではなく、街をつくってほしい。しかし、現実はそれが難しい。つくることと、壊すことがイコールにならないためにはどうすれば良いのか、非常に大きなテーマをつきつけられた深い遊歩でした。

 

天気 晴れ
参加者 12人
遊歩時間 12:00~18:30

 

 

 

目白・雑司ヶ谷の巻

2016年9月18日 ガード下学会

今回のまち歩きは目白・雑司ヶ谷エリアでした。13時に目白駅改札口に集合し、計15名が参加しました。まず目白駅を西側に出て、市来嶋神社、豊坂稲荷神社を訪ねました。目白というとハイソなイメージがありますが、駅を出てすぐにこのような神社が存在するとは知りませんでした。また、駅近辺だけでも蔵を3つ発見することができました。どの蔵も今はどのように使われているのか不明でした。もしかしたら使われていないのかもしれませんが、このままではもったいなく感じました。記憶の蔵のように有効活用されるとよいのですが。目白三丁目の交差点を渡り、民家の立ち並ぶ路地へ。どの家の造りもお金持ちそうな感じがします。そのなかでも特に大きな区画になっている家が数十件ありました。敷地内には広い私道が通り、ここだけ建築デザインが別荘のようです(フランク・ロイド・ライトの影響を受けているのではないかという指摘も)。ここを管理しているのは八雲産業株式という会社で、尾張徳川家の資産管理を目的に設立された会社です。現在の社長も徳川家の方で、敷地内には徳川家の末裔の札のかかった家がありました。敷地内には徳川ドーミトリーという寮も設けられていました。調べてみると、入寮20万、月17万ほどの家賃がかかるようです。私には難しい世界です。江戸幕府は十の昔に終わりましたが、未だにある種の力を持っているのだなと、まざまざと感じました。


細い路地を進み、西武池袋線を越えるところで大竹先生が古い地図を見せてくださいました。なんでも昔、ここに「上がり屋敷駅」という駅があったそうです。古い地図があると現在との変化が瞬時に分かって面白いです。ステンドグラスのお店やゴシック体で書かれたお稲荷様に立ち寄った後、一行は自由学園明日館へ向かいました。ここでは塩田さんが本日のためにわざわざ用意してくださったオリジナル建築パンフレットをもとに詳しい経緯や建築レクチャーをしてくださいました。このパンフレットは自由学園明日館にも寄贈されました。自由学園明日館は1921年にフランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。当時、ライトの下で建築を学んでいた遠藤新もこの建築に関わっているそうです。というのも、ライトは設計途中で帰国しなければならなくなり、残り半分の図面を遠藤新に託したというストーリーがあります。落ち着いた色調で左右対称な美しいデザインが素敵でした。また、前述の徳川の敷地内建築に見られたように周囲の建築デザインに影響を与えているように感じました(前に建っている婦人之友社の建築デザインもどこかライト風)。

一行はそのまま山手線の線路沿いを歩き、花のはしという陸橋を渡って、山手線の内側に入りました。このあたりは、区画が統一されておらず、家の敷地に合わせて道幅も変わっていました。このあとは目白通りの一本裏道に沿って明治通りまで歩きました。千登世橋上からは下を通る都電荒川線がよく見えました。都内に残る路面電車は、この荒川線のみとなってしまいましたが、地下鉄やモノレールなどとは違う優しさを感じ、個人的に好きです。これはやはりゆったりした速度で地に足をつけ、地面を走っているからなのではないかと、先日刊行されたまち歩きジャーナル9号の大竹先生と清水さんの往復書簡を思い出しました。高田一丁目を左に曲がり、鬼子母神堂の参道に入りました。現在は商店街になっており、途中のメロンパン屋さんで珍しいメロンパンを実食(塩メロンパン、オレンジメロンパンなど)しました。鬼子母神堂の境内には上川口屋という駄菓子屋さんがありました。なんと創業1781年という長い歴史を持つ老舗です。店に立つおばあちゃんはいかにも駄菓子屋のおばあちゃんといった雰囲気の、優しく物知りな方でした。このような駄菓子屋がまだ東京に残っているとは嬉しい限りです。大竹先生は子供のころ、このおばあちゃんから駄菓子を買っていたと話していました。人の歴史が積み重なっている空間は素敵です。その後、大鳥神社、東京音楽大学などを通って、本日の一献場所「炭火焼鳥 母屋」に到着しました。今回の遊歩は池袋に近いので都会感の強いエリアですが、実際に歩いてみるとゴチャゴチャした道が多く、生活感も適度に併せ持ったエリアであることがわかりました。山手線の内側もまだまだ知らない場所が多いので、どんどん歩いてゆきたいです。

以下は参加者のみなさんからの感想です!

 

 

(1)今回の遊歩は、特に路地裏探索での発見が多く、実りある週末になりました。上川口屋(駄菓子屋)のおばあちゃんも矍鑠としておられて、気持ちの良い空気を頂くことができました。それにしても、東京の路地は、いろんな発見が得られる無限のフィールドですね。
(2)ブランク ロイド ライトの建築はシンプルで有機的で洗練されていますが、その人生は反対にカオスの権化だなー、と塩田さんのエピソードを思い出しながら昨日のまち歩きを振り返っております。日を改めて、昨日は見学出来なかった自由学園の内部見学と、ステンドグラス工房の一日体験をしてこようとおもいました。
(3)徳川ビレッジ、線路崖上の小道、鬼子母神山道・境内、そしてフランク・ロイド・ライト!皆見応えありました。
(4)印象的だったのは、やはりフランク・ロイド・ライトの人生の話で、塩田さんには貴重な逸話を教えていただき、大変感謝です。あの冊子の見やすさと完成度の高さ!ありがとうございました。犬や猫もたくさんいたなぁと、何匹か愛でられたことをうれしく思いました。近づいただけでお腹を見せてくる油断しきっていた犬も、全く見向きもしない猫も、みんなかわいかったです。閉まっていたパン工場 かいじゅうやですが、あの後気になって調べたところ、水金土しか空いていない、評判のお店のようです。皆さんの撮られたお写真など拝見させていただければ、大変うれしいのですが。一献のお店も、どうやら隠れた名店のようで、煮込みの美味しさに舌鼓を打ちました。
(5)目白というとハイソなイメージがありましたが、今回のまち歩きでは細い路地裏をいくつも歩くことができ、印象が変わりました。道幅が一定でない理由はなぜなのか気になりました。自由学園ではライトの建築を塩田さんに解説していただき理解が深まりました。わざわざ作っていただいた冊子が素敵でした。

 

一献場所 炭火焼鳥 母家

天気 曇り時々雨

遊歩時間 13:00~16:30

 

 

 

富士見坂~谷中・千駄木~田端の巻

2016年5月28日 山本浩輝

今回の遊歩は、JR西日暮里駅をスタートし、JR田端駅を目指す遊歩でした。しかし、両駅を地図で確認すると僅か600mほどしか離れていません。最短距離で歩けば10分で遊歩終了です。というわけで、今回の遊歩は10分歩き、あとは夜までお酒をいただきました。というのは冗談です。今回の遊歩は西日暮里を同心円状にとても内容の濃いものでした。13時にJR西日暮里駅に集合し、計7名が池本さん案内のもと遊歩しました。まず一行は線路沿いを田端行方面に歩き長谷川利行(画家)の住居跡を訪ねました。現在、住居跡は雑居ビルになっています。この辺りは山手線、舎人ライナー、東北本線、常磐線、京成本線が交差する場所でいたるところに高架がありました。まるで近未来都市です。少し進むと飲み屋やラブホテルが立ち並ぶディープなエリアに。熟女を外国語に置き換えるとどうなるかで話は盛り上がりました。

一行は山手線ガード下をくぐり、日暮里の台地(諏方神社境内)へ登りました。ここで私が以前から訪れたいと思っていた日暮里富士見坂に立ち寄りました。残念ながら、現在は富士山を望む方角にマンションが建ってしまい富士山全体を拝むことはできなくなってしまいました。しかし、坂の路面や街灯には富士山が表現されていたり、地域住民が以前の景色をポスターで伝えているなど、富士山に対する地域の皆さんの強い想いを感じました。

一行はそのまま細い通りを谷中方面へ歩きました。この辺りはお寺や古い建物が多く残っており、観光客も多いように感じました。また、霊梅禅院という周恩来が若いころ滞在していた場所や、山岡鉄舟が創建した全生庵(三遊亭圓朝の墓がある)など、調べれば調べるほど様々な分野へ繋がるエリアでした。一行は不忍通り裏の講談社発祥の地(現在は社宅)の横を通り、須藤公園の崖(本郷台地)を登りました。路地を抜け、駒込高校の前を通り、次に向かったのは真浄寺というお寺でした。ここには金玉均と甲斐軍治のお墓がありました(金の墓は青山霊園にもあるそうです)。

この後、塩田さんと駒込病院付近で待ち合わせをし、合流しました。一行は動坂下交差点から古い裏道に入り、東覚寺と田端八幡神社を訪れました。東覚寺には赤紙仁王尊という像があり、参拝者の病気の部位と同じ場所に赤い紙を貼ると治ると伝えられています。その姿はまるで現代アートの作品のようでした。最後は田端駅方面に通じる階段を上り、今回の一献場所「まったり~菜」に到着しました。

今回の旅では「ゆかり」というものを強く感じました。金玉均、孫文、魯迅、宋教仁など西日暮里からアジアまでその「ゆかり」の幅は広がります。また、道中で訪れた富士見坂も富士山が見える坂であったという「ゆかり」から名付けられました。これらは地域のアイデンティティを表しているように感じます。富士見を遮ることは、単に富士山を見ることができなくなったという状況をいうものでないように思います。私は「ゆかり」を大切にする街をつくりたい、そのように思い至った遊歩でした。

 

 

 

 

天気 曇り

遊歩時間 13:00〜17:45

北千住遊歩の巻

2016年4月9日 山本浩輝

今回は北千住遊歩でした。13時にJR北千住駅西口交番前に集合し、舟橋左斗子さん案内のもと11名が参加しました。千住は江戸時代に日光街道、奥州街道の宿場町として栄え、現在でも多くの古い建物が細長い区画(当時の区画)のままに残っています。一行はまず、宿場町商店街(通称:北千住サンロード商店街)入り口まで行き商店街の両端にある数本の路地裏を遊歩しました。この商店街は旧日光街道の名残であり、道幅は当時のままといわれています。

古い建物には関東大震災の頃から備えられるようになった地震柱が残っており、すぐに新旧の建物の判断ができました。1本目の路地は山路医院のある通りです。民家の花壇に「嘔吐しないで!」の立札を発見。これは良い「異なるもの」を採集しました。2本目は「お茶海苔中川園本店」の脇に出る路地で、店舗の裏には蔵を発見しました。路地の地面には四角い跡が残っており、舟橋さんの話では、昔ここに井戸があったそうです。

3本目は「千住本氷川神社(大黒天)」の参道でした。途中の古民家では「いえまち勉強会」の案内が貼られていました。こういった方々が守っているからこそ、趣のある建物が残っていて、ひいては千住の魅力になっているのだなと感じます。神社では3人の子供たちがサッカーをしていました。

北千住サンロード商店街に戻ってきた一行は、「まつもとや繊畑商店」を右へ曲がり、「千住ほんちょう公園」と「たこテラス」のある通りを歩きました。この通りでは子供たちがたくさん遊んでいました。「たこテラス」はもともと自転車屋だった古民家を「千住ヤッチャイ大学」が借り、子供たちが自由に楽しめるアートスペースに変身させていました。

通りを抜けた一行は「長円寺」と「千住4丁目氷川神社」を訪れました。寺の脇には「めやみ地蔵尊」があり、絵馬が飾られていました。この絵馬は北千住サンロード商店街にある絵馬屋が作っているとのことで、商店街に戻りそちらも訪ねました。この絵馬屋は江戸時代から続く手書きのお店で、干支に因んだ物も売っていました。一行はそのまま商店街を進み、途中で団子等を食べながら荒川土手で休憩を取りました。この荒川土手では、かつて「3年B組金八先生」のオープニング映像が撮られたそうです。空が開けていて気持ちよかったです。

休憩後、一行は先程くねくねと横道にそれた商店街を真っ直ぐに歩いて「きたろーど1010」まで戻ることにしました。しかし、寄り道こそ至高。途中で「毎日通り飲食店街」なる通りを発見!まるで新宿ゴールデン街のようです。今度はここで一杯やりたいですね。「きたろーど1010」では「大橋眼科」を訪ねました。もちろん誰も目に異常はありません。なんでも先代の医院長さんがアンティーク好きだったらしく、眼科らしからぬ素敵なモダン建築の建物が医院になっていました。入り口にはわざわざ「昭和通り」から取り寄せたガス灯が立っています(オリンピック前の昭和35年頃、道路拡張工事の際にコレクション)。こんな医院なら通院が楽しくなるだろうなと思いました。

次に寄る予定の「黒い家」の開館時間が17時までということで、早歩きで直行。なんとか間に合いました。「黒い家」には、越後妻有大地の芸術祭にも同様の作品を展示している大巻伸嗣氏のシャボン玉を使った作品がありました。最後に森鴎外旧居跡(鴎外の父がここで医院を開業していた)を通り、本日の一献場所「HANOI&HANOI(タイ料理)」へ。19:45頃解散となりました。

今回の遊歩で一番感じたのは、まちに子供の姿があるということでした。最近の子供はスマホゲームばかりと言われますが、空間さえあれば子供の豊かな発想で石も空き缶も遊びに変わると思います。北千住では神社や路地、公園など、子供たちの遊ぶ空間がしっかり残っており、とても住みやすいまちだと思いました。そして、この心地よい空間は、やはり市民の方々が尽力して守っている古い建物から来るのだと思いました。建物の保存目的は、当時の貴重な建築技法の保存があげられますが、それと同時に、そこにその建物が建っていることによって醸し出される空気があります。都心のサバサバとしたビル群にはない、人情味あふれる空間が北千住にはたくさん残っていました。どうかこれからもこのままで。そんな思いになった遊歩でした。ありがとうございました。

 

天気 晴れ

遊歩時間 13:00〜17:30

 

 

 

番外編!〈根岸再訪 落語鑑賞の巻〉

2016年2月11日 山本浩輝

先日の根岸遊歩から約3週間、私と大竹さんの2名で再び根岸を訪ねました。この日は建国記念の日ということで祝日でした。もともと落語鑑賞で都内に出る予定があったところ、奥村さんから211日は八二神社で御祭礼があると伺ったので、落語鑑賞前に寄ってみることになりました。午前11時に八二神社前に集合し、行事に参加しました。神社前の道路は祭事のため通行止めになっており、参拝者が暖を取れるように焚火の周りに椅子が並べられていました。2軒隣のビルもこの日のために解放されており、奉納金の受付や祭事後に振る舞われるお汁粉の準備がなされていました。地域の人々が準備のために集まり談笑している光景を目にすると地域文化が持つ人の繋がりを感じます。5分ほどすると祭司が現れ、30名ほどの参加者が見守る中、厳かに祭事が執り行われました。

祭事終了後はお汁粉を食べ、清水さんの案内で前回閉まっていた堀口引手製作所へ行きました。引手とは障子・戸・引き出しなどの開閉の際、手をかけるために取り付けた金具のことで、ここでは細かな装飾が施された引手がたくさん展示されていました。こうしたさり気無い物がデザインされていると、「戸を引く」というような毎日の機械的な行為(習慣)にも温もりが生まれるのだろうと思いました。

この日のもう一つの目的である落語鑑賞のため、私と大竹さんは清水さんに別れを告げ、京王線明大前駅へ向かいました。会場はキッド・アイラック・アートホール。遊興亭福し満独演会『品川ラプソディー』は午後1時半に開演しました。演劇のような小道具はなく、一人ですべての登場人物を演じ、世界を作っていく姿はまさに落語の持つ独特の魅力であり、上手下手、右左などの情景や人物の性格が非常に精巧に練られていると感じました。一方で、話の展開はお調子者が頓智を効かせ、落ちる美学を作っていて面白かったです。落語鑑賞後は同ビル地下にあるブックカフェ槐多でお茶をしました。店名の槐多は洋画家の村山槐多から来ています。そのため、店内には芸術関連の書籍が並べられ、コーヒーなどを飲みながら読書が楽しめます。この日はイラストレーターの井上恵美さんによる個展も開かれていました。ゆったりした空間の中で本棚の書籍を眺めていると正岡子規の本(二玄社「子規の書画」山上次郎著)を発見しました。先日の根岸遊歩で「子規庵」を訪ね、午前中まで根岸にいたタイムリーな状況だったので、すぐにその本を手に取り大竹さんと一緒にパラパラ捲ってみました。すると正岡子規が生前使っていた名刺に記された住所が八十二番地であることが分かりました。午前中に御祭礼に参加した八二神社の名前の由来は不明とされていますが、この名刺に記された番地と何か関係がありそうです。まさか、カフェでこんな発見があるとは思いもよらず、偶然とは面白いものだと感じました。この発見をもってカフェを後にし、この日は解散となりました。ガード下学会のまち歩きでは、大通りや名所を計画的に歩かず、路地裏やガード下などの普段目に留めにくい場所を自由気ままに歩きますが、だからこそ遭遇する発見や繋がりがあると感じます。そんな喜びを体感した一日でした。

 

根岸の里 正岡子規の地図をたどるの巻

2016年1月23日 山本浩輝

2016年最初の遊歩は東京都台東区根岸3丁目をめぐるツアーでした。案内は「笹乃雪」のご子息でいらっしゃる奥村雅男さんと清水ますみさんでした。11時に鶯谷駅北口に集合し、計11人の参加となりました。山手線の車窓からよく見えるのでご存知の方も多いと思いますが、鶯谷駅周辺はラブホテルがたくさんあります。奥村さんの話では、もともと遊郭は繁華街から少し離れた場所に形成されるもので、根岸がその条件に合致したのではないかとの話でした。また、事業に失敗した会社が、その広い敷地を活用してラブホテル経営に転身する事例も根岸では多かったようです。

そんなお話を聞きながら、一行は駅前周辺のホテル街を通り、子規庵に向かいました。子規庵は俳句・短歌で知られる正岡子規が生前住んでいた借家であり、現在は子規に関する資料が展示された都指定史跡になっています。子規庵は子規を訪ねて友人の夏目漱石や森鴎外が訪ねるなど、近代文学にとっても所縁の深い場所です。奥村さんの子規庵解説の中で、一枚の写真を見せていただきました。これは晩年、病にかかり、布団から体を起こした子規を撮影したもので、教科書などで目にする横顔の子規の写真よりも不格好な写りになっています。しかし、子規はこの写真をとても気にいっていたことが発見された書簡から分かっているそうです。子規庵の庭にあるテーブルに座り、全員でこの日の流れを確認しました。ここで、奥村さん自ら用意してくださった地図をいただきました。この地図は子規が寺田寅彦に道案内するために作った地図で、これを現在の地図にトレースして歩いてみようという大変面白い取り組みでした。

子規庵の向かいには台東区立書道博物館(中村不折の住居跡)があり、こちらにも寄りました。書道博物館は書家であった中村不折が、その半生の中で独力で収集した日本や中国の書道史研究資料を展示しています。中庭には「不折」が建てた明治時代の蔵が残っています。この蔵はもともと根岸3丁目12番地に建てられたもので、平成23年の道路拡張工事の際に偶然発見され、移設されたとのことでした。この発見には奥村さんが尽力されており、現代の建築法や行政の文化財保存に対する姿勢など、まさに現場の声を聞くことができました。書道博物館の裏手にある初代林家三平の資料館「ねぎし三平堂」も中には入りませんでしたが、入口を見ました。林家一門のルーツが根岸にあるとは知りませんでした。

その後、一同は子規庵前まで戻り、子規の記した地図を頼りに、元三島神社と「不折」住居跡を訪ねました。現在、「不折」住居跡は個人の土地になっており、建物も残っていませんでした。道も区画整理などの影響ですべて地図通りではありませんでしたが、子規の見た風景を想像しながら歩くことができました。ここで前半は終わり、13時半ごろ一行は鶯谷駅前交差点にあるカフェド・花家でランチを取りました。食前には清水さんが収集された「ちりめん本」を見せていただきました。これほど状態よく残っているちりめん本は珍しく、手にとって読むことができ感激しました。

カフェを後にした一行は本日の案内人である奥村さんの「笹乃雪」へ足を運びました。次回はここでお豆腐を食べながら、一句作りたいです。一行は笹乃雪のお豆腐に惹かれながらも向かいにある根岸小学校と少し歩いたところにある旧陸奥宗光邸を訪ねました。この旧陸奥宗光邸では、明治の出版人である長谷川武次郎が、カフェで見せてもらった「ちりめん本」を出版し、現在はそのご子孫が、大切に管理しておられるそうです。一行は「不折」の蔵発見場所、御行の松不動尊、大空庵、三島神社などによりながら細い路地を通り、16時半ごろに金杉通りに出ました。この通りには戦争で焼け残った戦前の建物が多く残っていました。その中の一つ「矢島写真館」はご主人のご厚意で二階を見学させていただきました。内装は大正モダンな雰囲気で、写真撮影の待合室として使われているそうです。


そして、一行は鶯谷駅前に戻り、居酒屋「あまのじゃく」にて一献、解散となりました。今回の遊歩は奥村さんに多くの場所を案内していただいた上、詳細な解説を聞きながらめぐることができたので大変内容の濃い遊歩でした。駅前のホテル街に隠れてしまった根岸の里の魅力を感じられたような気がします。一方で日の目を見ない文化財に対する行政の在り方や変わりゆく風景(区画など)についてどうしたら良いのだろうと考える機会にもなりました。また、ゆっくり根岸をたどってみたいと思います。本日は寒い中、ありがとうございました。

 

 

天気 曇り時々雨

 

 

 

遊歩時間 11時~17