櫻井さんのホームタウン「稲毛」遊歩の巻

2015年11月29日 山本浩輝

本日のガード下学会ツアーは稲毛(千葉県稲毛区、美浜区)を中心としたエリアでした。13時に稲毛駅に集合し、参加者7人が櫻井氏の案内で遊歩しました。

駅前交番を右折して、最初に目に留まったのが納骨堂建設の反対旗。帰宅後に調べてみるとどうやら駅近くに約5000基の納骨堂建設案があるとのこと。地価が下がるという問題があるのでしょうが、高齢者が増える中、これからのお墓事情(死者への街の対応)はどうなるのだろう、そんなことを考えながら一行は住宅街を進んでいきました。    

住宅地を南へ15分ほど歩くと京成電鉄の稲毛駅にぶつかりました。このあたりを地図で確認するとJR総武本線、JR京葉線、京成電鉄京成千葉線の三つの路線が西から東へ並走していることがわかります。それぞれの最寄り駅は陸側から開業が古く、稲毛駅(総武)が1899年、京成稲毛駅が1921年、稲毛海岸駅(京葉)が1986年となっています。これは稲毛のまちの発展に関係がありそうです。というのも、稲毛の街は南(海側)へ行くほど新しくなっていくのです。

以前は国道14号線より南側は海岸でした。しかし、昭和30年代後半から埋め立てが進み、新しい土地ができるとともに家や路線が南側に作られていきました。

駅前の住宅街には数件木造住宅が残っていますが、埋め立て地側には全くありません。この「道路を挟んだ街の二面性」は興味深いと思いました。

京成電鉄の踏切を渡る際には車両通行止めに一同注目。一見、ただの車両通行止めに見えますが、実は電車のレールを溶接して再利用したもので、物によっては西洋からの輸入レールが混じっており、貴重であることを知りました。

京成千葉線を越えると、すぐに稲毛公園に着きました。公園内には松林が続き、以前はこの辺りが海岸との境であったことを感じさせてくれます。松の傾きも見事に海から陸側でした。

まず、公園近くの旧神谷伝兵衛稲毛別荘を訪ねました。神谷伝兵衛は浅草にある神谷バー(電氣ブラン)で成功した実業家で、別荘は贅を凝らした立派な洋館でした。1階玄関ホールは2階へ続くアール階段の吹き抜けで、玄関脇には応接用の洋間がありました。階段の途中には花を生ける台があり、洋風でありながら、空間への気配りには日本らしさが垣間見えました。2階へ上がると1階とはガラリと変わって和室でした。酒造を生業としているだけあって、室内のデザインはワインを連想させる葡萄の古木を使用した大胆や葡萄の透かし彫りなど特徴的な造りになっていました。隣には千葉市民ギャラリー・いなげが隣接しており、文化財の保護だけでなく住民の文化交流の場としても活用されていました。この日は絵画サークルの展示が開かれていました。絵には神谷伝兵衛別荘を描いた風景画が多々あり、この別荘がしっかりと地域のランドマークとして根付いているように感じました。

一行は再び稲毛公園に戻り、園内にある稲毛浅間神社に立ち寄りました。移築したばかりの浅間神社はとても新しく、七五三の参拝者で賑わっていました。

神社脇の階段を下りて、次に向かったのは千葉市ゆかりの家・いなげです。ここはラストエンペラー(愛親覚羅溥儀)の弟が成婚間もない頃に住んでいた家で、落ち着いた雰囲気を感じます。家はL字型で、庭に面して縁側が設けられています。庭の奥には茶室があり、第二次大戦へと突き進む激動の時代の中にあって多くの事案に瞑想したことでしょう。

千葉市ゆかりの家を後にした一行は14号線を渡り、戦後の埋め立てエリアへ入りました。15分ほど歩いて到着したのが千葉トヨペット本社です。「新車の購入を検討しに来ました」と言いたいところですが、そうではありません。実はこのトヨペット本社が有形文化財なのです。元々、旧日本勧業銀行(妻木頼黄設計)の本店として明治32年に東京・日比谷公園前に竣工されましたが、その後、谷津遊園楽天府、千葉市庁舎と移築を繰り返し、現在の状態となりました。千葉市が新市庁舎を完成させた際には存続が危ぶまれましたが、市内に再建する事を条件に千葉トヨペットが無償で譲り受けました。外観は当時のままですが、建物内は現代の企業そのもので、車のショールームまでありました。企業による文化財保存の面白い事例だと言えます。

最後に隣の稲岸公園を抜け、一行はバス通りに出ました。稲岸公園は現在でこそ長方形の公園ですが、元は民間飛行場でした。旧神谷別荘前に格納庫があった事を考えると十分な滑走スペースを持った飛行場であったと考えられます。ここが民間航空発祥の地とは露知らず、休日午後の公園には子供たちのサッカーをする声が響いていました。

最寄りのバス停から、ちばシティバスに乗り16時前にはJR稲毛駅に戻ってきました。

今回、初めて稲毛に降り立ちましたが、半径約2.5kmの円の中にこれだけの見所があるとは知りませんでした。そして、全てが無料で一般開放されており、稲毛周辺が千葉市の文教地区として重要な役割を果たしていると感じました。

遊歩後の一献では台湾への学術旅行の企画が上がりました。都内を飛び出して神奈川県、本日の千葉県稲毛、そして海外と、ますます活動の幅が広がることが楽しみでなりません。今後も微力ながら協力させていただければと思います。本日はありがとうございました!

広瀬摩紀さんの遊歩イラスト「巣鴨」〜「古河邸」の巻

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おばあちゃんの原宿「巣鴨」〜コンドル設計「古河邸」の巻

                        5月24日(記録:塩田)

今回の遊歩は、JR巣鴨駅に集合、巣鴨地蔵通商店街を庚申塚まで散策しつつ、白山大通り(国道17号)を横切り、染井霊園で著名人の墓所を訪ねつつ、旧古河庭園で建物&庭園見学。最後の締めは、霜降銀座の「蕎麦屋で呑む」というもの。

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11:30にJR巣鴨駅改札(1)には、大竹、友田、長沼、住友、川島、広瀬、関、今回初参加の間弓さん、山本さんの合計9名が集合。天気予報では曇りのはずが思わぬ快晴となり、まだ五月なのに最高気温は27度となる模様。ひとまず、国道17号を横切り、眞性寺(2)へ。

江戸六地蔵尊の一つである巨大なお地蔵様が鎮座される境内で、本日の遊歩の安全を祈願。隅の方に目をやると、形態的には「モン・サン・ミッシェル」タイプの「お地蔵タワー」を発見。もちろん中央は聖ミカエルではなく、観音様だ。おそらく様々なところに安置されていた石彫仏像が、再開発などで居場所を奪われ、何かの縁でこの境内に集められ、寄り添うようにタワー化したのではないか(by大竹先生)。なかなか迫力のある造形なので、いっそのこと、この塊ごとスカイツリーの頂上に設置するというのはどうか。地上600mの仏像群は世界初になるのではないか。。。などと妄想(by塩田)をしていたら、皆に置いて行かれそうになる。

眞性寺から北西へちょっと歩いて「おばあちゃんの原宿」こと、巣鴨地蔵通商店街(3)へ突入。今日は「4」のつく縁日の日なので、結構な混雑。そして、その殆んどが高齢者の方々。屋台で売る方も高齢者。それを買う方も高齢者。近未来の日本が直面する超高齢化社会をまさに先取りしている光景だ。とはいえ、皆さんお元気な方ばかりで、ホンモノの原宿に優るとも劣らない熱気に満ちていた。

まずは、とげぬき地蔵尊で有名な高岩寺(4)に立ち寄る。無病息災を願う人々の真摯な気持ちに応えて400年。元々は湯島で開山され、巣鴨に移ったのは明治期であり、訪れる参詣客数のわりにはコンパクトな境内である。本堂でお参りを済ませた後、秘仏の代わりの「とげぬき地蔵尊御影」を手に入れ、最後に「洗い観音」で持病の治癒を願うのが標準的な参詣プロセスだ。仏様を見るだけではなく、手で触れるという「触覚」を誘発するシステムがここにはあった。フィジカル・コンタクトによる安心感の創出。ココロを豊かにするためのキモがしっかりデザインされていることに感心する。霊験あらたかなパワースポットの人気は、このようなきめ細やかな振舞いのデザインに支えられているのだ。

高岩寺での参詣後、遊歩一行は三々五々分かれて、自らの興味の赴くままに商店街の店舗や縁日の屋台を物色(5)すること約1時間。筆者は屋台でイナゴの佃煮を試食し、免許証を返納するまではかなりの飛ばし屋だったとうそぶくおもちゃ屋(実は模型屋らしい)のオヤジとラジコン飛行機談義を交わし、洋品店の特売ワゴンに群がるおばあちゃんたち(女性はいつまでも変わりませんね)を観察したりして、濃密な時間を過ごした。

商店街の終端で再度全員集合し、庚申塚(6)へお参りする。ここで、おおみやしのぶぅさんゆうきクン親子が合流。そして、次の目的地である染井霊園へ向けて、ひとまず北へ向かって歩き出す。すると途中で「東日本復興」と銘打った音楽会(7)に遭遇。レストランの店先の駐車スペースで4人編成の小楽団の演奏を聞くことに。MC担当のリーダーと思しき方の不思議な楽器(超小型バンドネオン的?)の音色にちょっとだけ酔いしれるが、先を急ぐので早々にその場を後にする。

巣鴨3丁目交差点で再び白山大通り(国道17号)を渡り、遊歩一行は染井霊園に向け南東方向に進む。裏路地のほうに入り朝日通り(8)に出る。ここは商店街だった(今も?)ようで、なんとなく懐かしい豆腐屋さんは見つけるが、全体的には「シャッター通り」化している様子。さらに言えば「ゴーストタウン」(by長沼先生)のようでもあり、ついさっきまでいた地蔵通りの賑やかさと比べると、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。

角を曲がりコンクリートの壁沿いに、細い通り(9)を東へ進む。この壁の裏には何があるのかと思い、上から写真をとってみると、それは墓地であった。染井霊園を囲むように本妙寺を始めとする寺院付属の墓地が延々と広がっているのだった。

場所が場所だけに、道すがらの何気ない会話も「孤独死」や「終活」など死にまつわる話題に引っ張られてゆく。遺書などの準備もなく亡くなってしまうと、身近に家族がいない場合は、同僚や友人・知人(場合によっては自治体職員にまで)に大きな負担を掛けてしまうことになるらしい。自分が死んだ後のことについても予め準備をしておく「終活」は必要かもしれないと思った。

程なくして、染井霊園(10)に到着。時刻はすでに14時。8箇所ある都営霊園のなかでは最小規模ではあるが、植えられた100本のソメイヨシノは「染井吉野」の名のごとく、この地が発祥という説もあり、由緒正しき桜の名所でもある。霊園管理事務所前の案内板で、これから訪問すべき著名人の墓所を確認。かなりの数のセレブが葬られており、宮武外骨と二葉亭四迷の両氏に絞って、ピンポイントでお参りすることに。外骨の墓所を探していると、管理をされている墓守の方に遭遇し、染井霊園見学に有益な情報を頂く。当たり前だがさすがに詳しい。ありがとうございました。外骨の墓石を見つけ、大竹先生持参の清水で弔う。なお、最近の墓石には「名刺入れ」がついているものがあり、誰が回収にくるのだろうかとちょっとした話題になる。さらに墓地内を迷いながらも二葉亭四迷(長谷川辰之助)の墓石を発見。自然な風合いの墓石と自由闊達な揮毫に一同感嘆する。

霊園を後にし、一路、旧古河庭園へ急ぐ。庭園内の建物である大谷美術館(旧古河邸)のガイドツアーの予約(14:30~)があるので、とにかく早足で歩く。歩く。歩く。庭園正門まで約1kmの道のり。この辺りは起伏のある地形(11)で、一旦下ってから、また上る感じ。本郷台地から上野台地にかけての起伏と思われる。「東京とローマの共通点は7つの台地を持っていることだ」という言葉が頭をよぎり、かつて旅の途中に立ち寄ったカンピドリオの丘で、金が無いので階段に座り、水とパンを齧って空腹を凌いだことを思い出しながら、先を急いだ。

物ツアーの集合時刻よりちょっと遅れて庭園正門に到着。待ち構えていた大竹先生より入園券が配布され、早足で旧古河邸内(12)へ。ツアーガイド氏の話を聞きながら、約1時間ほど大正時代の洋館建築を見学。この建物は古河虎之助男爵の邸宅として1917年(大正6年)に建てられている。設計は工部大学校(東京大学工学部建築学科の前身)の御雇外国人であったジョサイア・コンドル Josiah Conder (1852-1920) により、彼の遺作として知られ、スレート葺きの屋根と安山岩系の外壁という全体的にダークな色調の外観に、白い鎧戸のコントラストが印象的だ。今は、バラが開花する時期でもあり、背景としてその鮮やかな色彩を引き立てる効果も抜群である。    

内部は、かなり独創的な和洋折衷様式。特に2Fの仏間や和洋の空間の境となる開口部の扱いなど、コンドル的東洋趣味が遺憾なく発揮されているように思えた。戦後は米軍の接収によって壁紙が剥がされ家具が売り払われたり、その後30年ほど放置されていたりと受難の時期が長かったが、現在は非常に美しく改修されており、また1Fの部屋やベランダはカフェとして利用されている。見るだけでなくお茶も楽しめる、動態保存の歴史的建築として再訪必至の洋館となっている。

見学が終わって外に出て、30分ほど自由行動となり一旦解散となる。売店には様々なバラ系スイーツが売られていたので、アイスクリームを食べてみる。なかなかの美味。産地を確認するとなぜか鹿児島であった。

せっかく来たので、庭園まで足を伸ばしてみる。見学した建物の南側はバラ園となっているが、その先に下って行くと中心に池を持つ和風の回遊式庭園(13)が広がっていた。木々が生い茂って適度に日陰があり、今日のような暑い日にゆっくり散歩するには最適だ。作庭は、山県有朋を始めとする明治・大正期のセレブ邸宅の庭園デザインで有名な七代目小川治兵衛(1860-1933) 、通称「植治」である。ただし、京都に多数ある代表的な治兵衛の庭とは趣を異にしており、ここでは台地の端である斜面を活かしたデザインがなされている点が興味深い。庭園ガイドツアーもあるようなので再訪の際は参加してみたい。

16:40ころに庭園を後にし、本郷通りを南下して最終目的地の蕎麦屋に向かう。蕎麦屋のある霜降銀座商店街(13)はなかなか魅力的なところで、新旧の店舗が混在するハイブリッドな感じが新しく、webサイトなどもしっかりデザインされていて好感が持てる。午前中に歩いた巣鴨地蔵通商店街とはまた異なった方向での、商店街再生のプロトタイプとなるような気がした。

そば処「扇屋」(14)に到着するが、開店時刻より早すぎて入店を拒否され、一同は周囲を散策したり、そのへんに座り込んだりして時間をつぶす。やっと店が開き、席に案内されるが、準備が整う前に雪崩れ込んで来た遊歩の一団約10名に、蕎麦屋の女将さんは厳しい眼差しを向けてくる。しかしそんなことはお構いなしに、生ビールを要求する遊歩一行。お昼寝を取っていたというご主人の計らいで即座に中生ジョッキが運ばれて、一件落着。筆者は所用があり30分ほどで退席しましたが、その後も今日の遊歩を肴に宴に花が咲いたことでしょう。。。

というわけで、みなさん暑い中お疲れ様でございました。楽しく歩ける環境を維持してくれている街の人々や管理されている方々にも感謝。次回からは遊歩参加者が地元を案内するシリーズが始まるとのこと。まずは、日吉かな?ちなみに、筆者の担当は千駄ヶ谷地区。もちろん鳩森神社で富士山登山?も組み入れます。乞うご期待。


深川めぐり             (3月22日)記録:大竹

今年、最初のガード下学会遊歩。初めて降りた大江戸線「清洲・白河駅」。

定刻に集まったのは、本日の案内人の松村さんほか、友田、大宮親子、染谷、長沼、大竹の面々。

松村さんからプレゼントは「かわら版・深川福福」の深川マップ。モノクロ表紙の印刷は「街歩きジャーナル」のよう。


  お日柄よしのあたたか天気

  「江戸資料館通り商店街」へ

  お彼岸翌日の日曜日ゆえ人の出があります


  霊巖寺境内の、大きな江戸六地蔵を見て

  「阿弥陀仏のような地蔵だね」と声あがり

  松平定信公のお墓を鉄扉越しに見ると

  3つのほどの墓石ありで、いずれが公さん?

   背の高いのがそうだじゃないかと勝手に解釈

  駐車の当番さんに「左の正面」と言われ、戻り見る

  地味な墓石が定信公でした


  寛政の改革者ゆえ、贅沢を諌める遺言か


境内で内海さん合流します。

 

  霊巖寺を出た先に大きな破風屋根の出世不動尊

  霊巖寺の塔頭です

  破風の下には漆黒の鶴に斗栱の獅子頭、妻壁には仁王のレリーフ

  なかなかの鏝絵です

 

  「外池の自転車」というのがありました

  「宮田」ならご存知でも「外池」があったとは

  サイクルサイクル目が回る

  あたりには「深川名物あさり丼」の旗、旗、旗、旗

  煮込んだ匂いが漂います

  漁師のぶっかけ飯も大東京ではグルメです

 

路地に誘われ入ってみると

  サクラが一本咲いていて

  向かいは木造モルタル工場跡

  波打つガラスの格子戸が美しく

  シャッターを切りました

  隣の民家のモルタル壁はアブストラクトな縞模様

   ひび割れ防ぐコーキング

   「うちもこれやろう!」と長沼さん

  狙ってできない図柄です

 

  次に出ましたアーチのゲート

  ネオンの文字は「中通り」

  ゲートの先に店はなし

  かつてはかつてでありました

 

  その先の「田巻屋」さん

  二階の壁に垂れ幕三本

  「問屋直売」「高級呉服の大放出!」「宝石エキサイティングセール」

  見事見事

  その下庇は横長ハチマキ看板

  屋号の真ん中「巻」の字の「巳」の押し込まれたところが“かわいい”のでした

  軒下には紅白幕があり

  「決算棚卸直前大処分」の真っ赤なチラシを寄せ集め

  扇子に型取り、歯車に型取りお化粧中

  下町商売面白い

 

 

面白いのは続きます

  古本「SHIMABOOK」に入り込み  3冊ゲットの大宮さん

  まずいぞやばいぞと言いながら

  三角フラッグのしおりをゲット

  向かいは、左右対称のファサードで

  タイルの壁にはコーキングアブストラクト

  緑と黒のタイルが張り分けされてます

 

  その先の下母田屋

  アーチのミラーが嵌め込まれ

  アーケードがここだけ残ります

  写真機構える人がいて  着飾る青年と少女が立ってます

  横から見ると看板建築で

  奥に深い建物は、階段上部のペントハウスもあり

  洗濯干し場もありました

次の十字路右へ折れ

  龍徳山雲光寺

  徳川家康公側室の「阿茶局(あちゃのつぼね)」開基のお寺です

  法然浄土の寺ですが

  住職さん直々にご案内

  住職好みの草花があちらこちらに育ちます

  これも法然の教えだそうで

 

  霊験ご利益いただいた  ここらで長沼さんはぐれます

  残りの面々さらに歩き

  間宮林蔵の墓詣で

  伊能忠敬に測量を教わった探検家がここに住んでいたのです


Uターンして「深川江戸資料館」

  長沼さんはここで戻ります

  地階の展示は見事です

  下町街並み原寸大

  路地あり、川あり、船場あり

  長屋の室内へも入れます

  四畳半に座り込み

  火鉢を前に話し込み

  「この広さで十分ね」「この暗さが休まるぞ」

  路地を通る見学者に話もかけてみましたよ

  下町体験いい気分

  若い内海、染谷さんは感無量 

時間が押してきましたね

  近くの「大鵬部屋」(大嶽部屋)「錣部屋」(しころ)など眺めつつ

  「弟子はこのマンションに入れるのか?」など話して

  万年橋から「常盤」町

  橋のたもとの「芭蕉庵史跡」

  「展望庭園」に上ります

  清洲橋が真正面

  ケルンの吊り橋「ヒンデンブルグ」の写しです

  永代橋が男なら、清洲橋は女です

  足を速めて「芭蕉記念館」

  入館は見送り、堤防上へ

  そこには芭蕉が鎮座して

  大川と小名木川を見据えています

  二人のご新造さん寄ってきて

  「この芭蕉さん動くのよ」「1日で1回転だったかな」

  ヘェ〜ヘェ〜そうだったのか

 

 

 まっすぐな「深川芭蕉通り」から、「高橋のらくろ〜ど」(たかばしです)

  人が少ないホコ天ですが

  「のらくろ」があちらこちらから語りかけ

  アットホームな商店街 

 「のらくろ」ばかりではなく

  ピカソも2点ありました

  二階の看板「ゲルニカ」は

  店主の思想の顕れか


 森下文化センターの一階の「のらくろ館」へ入ります


  下町生まれの「田川水泡」さん

  ずっこけ兵隊描いてた

  資料によれば戦争中

  執筆禁止がありました

  紙の不足がその理由

  真実はそうではないでしょう

  軍国主義の時代ゆえ

  士気の上がらぬ漫画では退廃芸術だ!

  文化がどんなに盛んでも、消費がどんなに豊かでも

  戦争は起こるのですね

  ご注意ご注意注意しましょう

  ちょうど時間となりまして

  お腹もぺこぺことなりました



  「のらくろ〜ど」の交差点へ戻り

  街角の中華「興隆菜館」で一献席を持てました

  参加の皆さんありがとう

  案内役の松村さんありがとう

  ではでは次回5月の町歩き

  乞うご期待といきましょう

登り窯でいい感じに焼き上がりました。 (窯出し3月15日)

登り窯祭り            (3月6日〜8日)記録:友田

3月6日~8日は「登り窯まつり」でした。


6日の朝から火が入り、三日三晩火を焚き続けます。

熱心に薪入れを手伝う人、火を見ているだけで十分な人、おしゃべりが楽しくてしかたがない人、いろいろな人が集まります。そして集まる人たちに料理を持ち込む人がいます。この三日間、作業台の上は料理が絶えることがありません。

予定では友田の料理当番は7日の昼でしたが、6日の深夜用にコーンクリームスープを差し入れました。

7日は朝から雨です。

段取りが悪く、道具を忘れて家に取りに戻ったり、足りないポトフの材料を買い出しに行ったりと手間取ってしまいました。

8個のライ麦パンを持ってきました。いつでも切って食べられるよう、オープンサンドの具材を用意しました。トマトのブルスケッタ、ハムのマリネ、バジルペースト、ベーコンとチーズのサラダ、ツナ、ラミーフルーツとクリームチーズ、あんずジャム等。

土曜日ですから観光客も来ます。

ふらりと立ち寄った人もいきなり食事が出されてびっくりしていました。

誰でもいっしょに食事をしながら話をすれば仲間入りです。


午後のおやつにベルベデーレも持ってきましたし、夜のサイドメニューに中華の卵スーブと蒸し鶏をつくり、食べ物の絶えることは無い状態にして今回の料理当番を終えました。

〜笠間で陶芸ざんまい〜        (1月25日)記録:友田

 笠間焼きの窯元、奥田製陶所の「登り窯まつり」が3月初旬にあります。東日本大震災震災で壊れた登り窯はをたくさんの人々が修復に協力し、みごとに復活しました。しかし、2013年は薪に含まれる放射能の影響を懸念して中止。昨年は薪の皮を剥いで使用することにし、祭りを再開。これまでとは趣が異なり復興を祝っての「登り窯まつり」となりました。今年は2回目となります。日程は3月6〜8日。最終日の夜にはジャズのライブもあります。


 ということで、今年第一回目の遊歩は登り窯で焼く笠間焼きに挑戦することになりました。参加者は前回の「悪態祭り」に参加した川島さん、広瀬さん、そして初参加の矢澤さん、友田、大竹さんが急遽欠席でしたので森洋子がピンチヒッターで参加し、5名で手捻りに挑戦です。


 火が走ることで模様がついたり、灰をかぶることで味わいある肌になったりするので、茶碗や皿よりも背の高い花瓶や壷の方が良いとのこと。各自何をつくるか申告。親方の奥田さんはそれぞれの作品に見合う粘土の量を想定して各人の前にドン、ドンと配布。

 どんぶりを制作する川島さんが一番多く、大徳利の矢澤さん、デキャンタの広瀬さんの二人はけっこう少な目。花瓶の友田はその中間。奥田さん指導のもと、粘土を一握り摘み取り紐状にして手ろくろにのせて行きます。森は既に前々日に登り窯用の作品を制作してしまったので、今回はガス釜で焼く小作品を。

 思うほど簡単ではありません。まずきれいに紐状にならない。太さが揃わないしシワも寄ります。紐をのせて行くといつの間にか開いてきます。修復が必要と判断された人は奥田さんが手直し。形が決まり始めると黙々と作業に集中します。

 二時間でだいたい仕上がりました。

 さて、作品が出来上がると同時にストーブから良い匂いがします。焼き芋です。とろり蜜がにじみ出ています。まるでキントンのような甘ーいお芋です。


 それと今日は猪肉が手に入ったので「牡丹鍋」と「タジン鍋」をやる準備もしています。イノシシざんまいです。

 血抜きが上手い猟師さんの手による肉だそうで、臭みはありません。

 てんこ盛りに無理やり蓋をしたタジン鍋は、ストーブの熱で蒸し焼きになると、野菜と肉から出た旨味たっぷりの水分でひたひたになっています。びっくりするぐらいに平坦になります。これを柚子胡椒オンリーでいただきます。

 牡丹鍋は生姜を入れた水で肉を煮ながらアクを取り、野菜を入れて煮込みます。醤油、味噌、みりん、酒で調味しました。体の心から温まります。


 出来上がると同時に電動ロクロを体験したいというファミリーが訪れました。奥田さんは味見程度で済ませ、中学一年生のお兄ちゃんと小学校三年生の妹にロクロの指導をします。お母さんは、しばらく子どもたちの様子を見ていましたが、いっしょにイノシシざんまいに参加。

 二人の子どもたち、ちょっと嫉妬するぐらい上手いのでびっくり。褒め上手な奥田さんに素直に反応するので、湯のみ、茶碗、小鉢が並んで行きます。ぶれが無いのがすごい。

 子どもたちも作業が終わり、イノシシざんまいに参加。けっこうオトナの味だと思うのですが、美味しいと言ってたくさん食べてくれました。

 イノシシさんも成仏してくれたと思います。

 登り窯まつりでは7日(土)に友田が料理をつくります。みなさんご参加ください。

登り窯まつりポスター案島田作成.pdf
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